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転職(その2)

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前回に続いて転職(その2)です。
私は転職経験者であり、部下に転職されてしまった管理職経験者でもあり、採用面接やヘッドハンティングを行うなど転職採用担当者でもありました。

1.2社目(名古屋時代)
2社目は上下水道コンサルタントで、名古屋の事務所に約7年、東京の本部に18年8カ月の合計25年8カ月勤めました。
入社してすぐ業務を担当することになりました。社会人3年目です。フォローしてくれる上司はいましたが、対外的な窓口兼主担当ということで、予算計画や管理、業務計画と進捗管理も行わなければならず、最後は成果品をまとめ上げるとこまで担当しました。今思えばかなり無茶振りでワンオペに近い状態でしたが、どこもそんな感じだったと思います。
その中で鍛えられたのは間違いないので環境に感謝しています。
ワンオペはある意味、成長の近道かもしれません。

それなりに仕事をこなせるようになるまでは4~5年はかかったと思います。20代後半です。
しかし、この頃には建設業界、建設コンサルタント業界は低迷期に入っていました。
入社したのが平成10年だったので、下図を見るとその時がピーク又はピークを過ぎた後だったことがわかります。

出典 建設産業の現状と課題/国土交通省

会社もリストラをはじめ、東京や大阪に地方技術者を集約する動きがありました。
名古屋の事務所は営業を1名残し他の営業は異動。技術も東京か大阪へ行くことになりました。
この時、先輩・後輩技術者はみんな転職してしまいました。
私は危機感から一級建築士・技術士を取得(平成16年度試験)したこともあり、東京から声がかかっていました。
今思えばここが運命の分かれ道でしたが、東京の本社・本部にどんな優秀な人がいるのか見てみたいという気持ちもあり、東京へ行くことにしました。
結果的に、名古屋時代の生き残りは私だけとなりました。
<転職を考えながらも会社に残った理由>
本社や本部を見てみたかった。



2.2社目(東京時代)
東京に異動すると、顔なじみの地方事務所の技術者が何人か集まっていました。
しかし、異動前に一度お会いしていた水道の技術士の方は退職していました。
水道の技術者は私一人(当時32歳)となりました。
このまま続けようか辞めようかちょっと悩みましたが、続けることにしました。
地方事務所から来た顔なじみの技術者は年も近いこともあり交流も増え、続ける理由の一つとなりました。
その後、東京では18年以上も務めることになりました。
待遇面は厳しい時代があり、人材や教育面も十分ではありませんでした。
なぜそんなに長い間残ったのか?毎年自問自答しました。
自分が選んだ会社が正しかったということを証明したかったからです。
この会社は可能性があり、まだ何とかなると思いたかったからです。
転職を考えながらも会社に残った理由
この会社はもっと価値ある会社になると思っていた


残ったからにはできることは何でもやりました。
・新しい組織の立ち上げの提案と新組織の運営
・社内ネットワークの構築(デジタル技術で横のつながりを高める)
・実績作りのため未経験業務の積極受注
・採用活動
・対外委員活動
・論文執筆や研究発表
・技術士試験対策
・部門や組織のビジョン作成
・待遇面の改善提案、各種手当の拡充提案
等々

私の力など微々たるものかもしれませんが、社長や経営層が考えるよりも先に忖度することなく、意見や提案を上げていきました。


3.部下の転職と採用活動
(1)部下の転職
そんな私の取組みとは別に、周りの人が辞めていくことが続いていました。
辞めていく人は公務員や同業他社へと移っていきました。
転職先の仕事内容は大きく変わらず、待遇面など不満があったと後から聞くことがありました。
当時管理職だった私は、他人事ではないので『なぜ、できる人から辞めていくのか? モチベーションを左右する本当の理由』(2008年5月10日、大和書房)という本を手にしました。(2016年頃)
この本の著者は人材コンサルタントの小笹芳央さんで、リクルートで人事部の経験を経て、2000年に「モチベーション」をテーマにした経営コンサルティング会社「リンクアンドモチベーション」を設立した方です。

この本で印象に残っている部分は次のとおりです。
人々は今自由を一番欲望している。
・「自分は転職しようと思えばできるけれど、今、自分の意思でこの会社にいる」そう思えることに価値がある。
会社に人生を預けることは不自由であり、大きなリスクへと変わった
部下は翼をもっている。でも今は飛ばない理由を知ること
仕事にポータブルスキル(今いる会社内でのみ使える仕事のスキルではなく、市場価値の高いスキル)の要素が感じられない
・「目指したい先輩がいない」「あんな人にはなりたくないよね
・「なんだか最近、成長してないんだよね」「この仕事って、意味あるの?」
・「自分がいなくても、ぶっちゃけこの会社って回るし」
・「こんなにやっているのにちっとも評価してくれない」
・「どうせ会社に何を言ってもムダだよ。変わらないよ」
モチベーションの高さは「目標の魅力」×「危機感」×「達成可能性」
・マイルストーン効果 小さな目標を設定し、ゴールまでの道筋を立てよう!
ローモデル効果 憧れの人を目標にして、行動を大きく変えよう!
・ロールプレイング効果 楽しみながら多角的な視点を身に着けよう!
・ライバル効果 競争意識の活用で、評価される人を増やそう!
・スポットライト効果 名前を取り上げて「自分意識」を高めよう!
・マッサージ効果 コミュニケーションで、悩みを消そう!
・成果の分かち合いがモチベーションを高める
働くモチベーションは、人と共同体との間、もしくは人と人との間に生まれる。

これらの内容は2008年に書かれたものですが、当時はとても衝撃を受けました。今の時代に当てはめても違和感はなく、現在のモチベーションやエンゲージメントを高める取組みは、この本の内容と比べてもそれほど目新しいものはないと感じます。
(ということは、多くの企業が10年以上も同じような課題を抱え続けているともいえます。)

この本の内容について、自部署でできることは取り入れました。また、当時の会社の状況と照らし合わせる形で、上司に問題点を文書で報告することもありました。

そして、ついに自部署からも辞めていく人が続く状況に陥りました。
いろいろ手を尽くしても時すでに遅しでした。
辞めていった理由はいろいろありますが、要約すれば共通して「将来を考えた時に、そこに自分が居ることが想像できない」という内容でした。
もう、ここには居たくないと言われるのはショックでした。
そう思わせてしまった私は管理職失格といわれても仕方がないと思いました。

このように管理職として転職されてしまう立場も経験することになりました。
私が目の当たりにした部下が転職を考える流れとしては、
ある程度スキルが身について他でもやっていけると思える。(ポータブルスキル)
・大学の同級生の働きぶりや待遇を比較して見劣りすると感じる。
同期や先輩の退職もあり、今の会社にどうしても居たいという理由がなくなる。
同期や先輩が退職しても何も改善されていないと感じる。(何を言っても変わらない)
・いつも大変そうな先輩や管理職のようになりたいとは思えない。あの先輩の下では働きたくない。
・パートナー(夫婦、交際相手)や家族に相談したら、転職を勧められた
・やりたい仕事ではあるが、もはやパートナーや家族を説得できる材料がなくなった。(残業時間が多い、待遇面が悪い、ストレスが多い、他の会社の方が明らかに環境が良い等)
・これ以上この仕事を続けるとパートナーとの関係が悪化する。
というように、結婚などの人生の転機に転職を考える傾向がみられました。
共働きができるか?夫婦で子育てができるか?という条件を突き付けられた時、Noと言わざるを得ない状況であったと察します。
恐らく、多くの企業もこう言った事を経験し、在宅勤務や男性の育児休暇取得等を積極的に取り入れる流れになっていると思います。

パートナーとの話し合いの結果の退職は一例ではありますが、最も見逃してはならないのは「部下は翼をもっている。でも今は飛ばない理由を知ること。」であると考えました。
部下を無理やり引き止めることはできません。本人の意思でここに居てもらうためには、ここに居る理由を確認することがとても大事です。まさにエンゲージメント・サーベイです。
中途採用市場が買い手市場であれば、どこにも行く所がないから仕方なく今の会社にいるということもありました。
でも、今の転職市場は売り手市場です。
ずっとこの会社にいてくれるものだという前提で考えて接していると手遅れになります。
ここに居てくれてありがとうという感謝の気持ちを伝え、何故ここに居てくれているのかをそれとなく聞き出すことはとても大切であると知りました。

私の部署は売上を上げる生産部門でしたが、人材確保のための活動、人材育成、離職防止の取組みも行うということも求められました。
新卒・中途採用市場が買い手市場か売り手市場かで取り組み方は大きく異なります。
会社の管理部門がしっかりと機能していたらそれほど問題はないかもしれませんが、そうでない場合、生産部門という現場サイドで人材確保・育成を行っていくのはかなり大変です。
人材確保・育成に関しては本を読むなどの自己学習をした程度だったので、リクルート出身者などから指導を受けたいと思ったことがありました。
管理職も人材マネジメントについて教育を受ける機会が必要だと感じました。

(2)採用活動
生産部門の管理職は採用活動も担っていました。新卒や中途採用の一次面接、大学訪問、派遣社員やアルバイト社員の採用、中途採用におけるいわゆるリクナビやビズリーチの活用やスカウト活動等です。

新卒採用は定時の範囲での活動ですが、中途採用者の活動は時間外や休日が多くなります。
通常業務もあるのでなかなか大変です。
たくさんの方と面接しましたが、近年はどこも人手不足で人材の奪い合いです。
良い感じで面接を終えても、より待遇が良い会社に奪われてしまうことも多々ありました。
売り手市場なのでこちらへの質問も強気なものもありました。
・年収はいくらか?そのうちボーナスはいくらか?月収でいくらか?
・残業は月何時間か?年何時間か?ルールは本当に守られているか?
・業務は何人態勢なのか?ワンオペのようなことはないか?
・組織は何人いるのか?専門家は何人いるのか?
・退職金はいくらになるか?
・転勤は本人の希望を重視するのか?
・採用後の役職は?その後のロードマップは?
等々。転職する立場で見るとなかなか参考になる質問です。

会社にとって中途採用はお金がかかります。
成功報酬型の場合は、年収の30~35%(年収1千万円なら300~350万円)
そうでない場合は、最初に100~200万円+成功報酬という感じです。
ひとり採用するのに数百万円を支払うことになります。
転職ビジネスって良い商売ですね。
できるだけ年収評価が良い会社にできるだけ早く人材を売りつけるという力が働きがちです。
そのことを理解して転職サービスを活用するべきですね。
転職が本格化する時期は年末~年度末。
年内に複数社から内定をもらい、年末年始の休みに家族等と相談して決断。その後、転職先に告げて、現職場に退職届を出し、新年度から転職先に勤務というのが理想の流れのようでした。
会社側も次年度の組織体制を踏まえ、中途採用に要する費用や新年度からの人件費を計上する時期が年末~年度末であることが多いので、両者の都合も一致します。

というように、管理部門的なことも現場で対応することは大変でしたが、私にとっては良い修行、良い経験になりました。
おかげで転職エージェントとしてもやっていけそうな気がします。


4.二回目の転職へ
そんな私も、いつしか転職を考えるようになりましたが2回目の転職はかなり時間をかけました。

「この会社をなんとかしたい」という思いはいつの間にか「この会社にいつまでもいてよいのか?」という疑問に変わっていきました。いわゆるエンゲージメントの低下です。
特に2020年以降は、毎年自問自答することが続きました。
・この先の成長を掲げても、もしかして周りのみんなはそれを望んでいないのでは?
・波風立てたくない人がこの会社には多いから、僕は浮いてしまっている?
・今年、来年が良ければそれでいいの?5年、10年先はどう考えているの?
・そもそも、5年、10年前はここを目指してきたの?
・もう自分の力でできることはやりつくしたんじゃないの?
・いやいや、まだやらなければいけないこともあるし、この会社のために頑張ろうか?
この最後の問いの答えにNoとなったのは2021年6月のことでした。
あまりここでは書けませんが、建設コンサルタントを一度離れてみようという気持ちが固まった時でした。
2023年6月には50歳になってしまうため、50歳を迎える前に今後の進退を決めたい思いがありました。
裏を返せば50歳までにイメージしていたことができないと思ったからです。
50歳が撤退ラインでした。

そこから転職サイトに登録するなど転職活動が始まりました。
建設コンサルタント以外での転職先探しは2021年から2022年までの約1年でした。
最終的に2023年2月に転職先を決意し、現職場の上司に退職したい意向を告げました。
結果的に、退職したのは2024年3月末で、転職先へは2024年4月初めからの勤務開始。
転職先決定から1年1か月を要しての転職となりました。
これだけの期間を前職に捧げたので誰がなんと言おうと円満退社です。
待ってくれた転職先に感謝しました。

<退職のきっかけ>
・もう自分がやりたいことができないと判断した。(50歳を撤退ラインとしていた)
・残りの人生で自分のためにやりたいことをしたい。(自由を求めた)
・自分の情熱と会社の温度感のギャップが縮まらなかった。(25年8か月頑張った)
<退職の理由>
・コンサルのその先へ。もっと当事者意識を持って仕事をしたい。(挑戦:自己都合)
<退職の本音>
・今の環境ではもう学ぶことがないため新たな環境で学びたい。(卒業)

<転職2回目の反省点>
・前職の要望に応えすぎた。もっとこちらの条件を付ければよかった。
・3月27日が最終日、3月28日に入院、3月30日退院、4月1日転職先初出勤と慌ただしかった。
・最後がバタバタしすぎて挨拶する時間があまり取れなかった。
・少し休みを取って一人旅しても良かった。

皆さんの転職活動の参考になれば幸甚です。